手を伸ばし掴みとった未来へ。

ゆるゆるジャニオタ大学生。

自担との出会い〜濵田崇裕くん編〜

 

遠い日の記憶を辿っていこうと思います。

 

私の推しはジャニーズWEST・濵田崇裕くん。

彼を初めてみたのはおそらく2011年夏頃だったと思います。

それまでジャニーズになんて興味が無かったというのが正直なところ…

 小学生の頃は毎日習い事に追われていて「天才!志村どうぶつ園」に出ている相葉くんが嵐だということを知らなかったという悲惨な状況でした。

ただ、今も昔もドラマを見ることは趣味で。

「ルーキーズ」「ごくせん」etc...特に学園ドラマが好きでよく見ていました。

 

そんなもとで育った私が知ったきっかけは中学に進学して出来た友人。

同じバレー部だったH。Hは現King&Princeの永瀬廉くんのファンで。

永瀬くんは2011年4月に入所しているらしいから、011年夏の時点で知っていたのは

かなりのジャニオタだったんだなと今になって感じています。

この子がかなり自分の好きなものはどんどん他人に進めるタイプの子で、

当然同じ部活で仲の良かった私にもジャニーズの波はやってくることに。

 

そんなこんなで2011年夏。すなわち中学1年の夏に、初めてきちんとジャニーズに向き合うことになり、嵐などのメンバーを全員認識したのもこの頃でした。

 

たくさん見せられたアイドル雑誌

関西ジャニーズJr.のページで「なんか見たことがあるなぁ」ってなったのが、

ジャニーズWEST中間淳太くんと桐山照史くんでした。

(完全にごくせんの影響ですね…)

 

 

 

「関西ジャニーズJr.」その括りの中に彼はいました。

 Jr.時代の濵田くんはファンの中でも「チャラ濵田」と揶揄されるように

今とはかなり違うビジュアルだったし、私のタイプからいうと惹かれるはずはないのに。それなのにどうしても彼の笑顔から目が離せなくなったのです。

 

それは今でも変わっていなくて、思いっきり笑うと細くなって無くなる目。

目尻による笑いジワ。笑顔の素敵な男性にどうも弱いみたいです。

 

濵田くんと出会った私は、そこから生活が一変した…

なんて話があれば面白いのだろうけど、そうはいかないのが私です。

確かに「関西ジャニーズJr.の濵田崇裕」を認知はしたし、他の関西ジャニーズJr.も有名どころ(7WESTなど)はなんとなく顔と名前が一致するようになりました。

でも、中学時代も毎日部活や勉強に追われ「まぁテレビに出ていたら見るけど…」と

いう感じで、ましてや「自担」なんて言葉も知りませんでした。

 

そのまま月日は流れ、中学3年生になりました。

その間にSexyzoneとA.B.C-Zがデビューしたが、そこまでハマることもなく…

(HはSZ勝利くん担になってたけど。)

バレー部も引退し、いわゆる受験生と呼ばれる段階に入った頃、

ふとジャニーズを思い出したかのように、見るようになります。

キッカケといえばそうなのかもしれませんが、毎日19時を回っていた帰宅時間が早くなり、受験勉強にも追われていなかった私には、今までなかった「テレビを見る時間」ができました。

そんな時にたまたま見かけたのはNHK BSプレミアムで放送されている「ザ少年倶楽部」。今や毎週録画して見る番組だが、この時はほとんど初めて見たに等しかったという状況だから驚きです。

しかもその日は年に一度のin大阪の日。今思えば奇跡でした。

:

:

Staygoldを歌う濵田崇裕。

:

:

あ、この人、好きだ。そう明らかに認識したのがこのとき。

こんな偶然あるわけないって普段の私なら思うけれど、こればっかりはタイミング。

神さまのイタズラだったんだろうな…

 

ここからはとにかくこの2年の穴埋め。

全然知らなかった少年たちのことやその他諸々、関西ジャニーズJr.について

ネットを駆使しておえるところまで。もちろん、2011年以前のことも。

(少年たち時代に好きじゃなかったのはいまでも後悔してる)

 

まぁそんなこんなで無事(?)濵田くん好き〜と

なった私は2014年元旦から衝撃を受けることになります。

数ヶ月かけてB.A.Dや7WEST、そして濵田崇裕のことを勉強してきたわけですよ。

…言葉にならない感情。

…どこにぶつけたらいいかわからない悲しさ。

(携帯なかったしそもそも友達に言ってなかった)

とりあえず他のグループのためにカウコンみてとりあえずそのまま寝ました。

夢でありますようにと願って。

(こんな陳腐な言葉で片付けたくはないけれど、本人たちも「過去の話」と言っているので私もそのスタンスでいきます。)

 

でもね、夢なわけないんですよ。新聞にデカデカと書かれる文字。全部が苦しかった。

これはジャニーズWESTのファンだったら誰担でも一緒だったんじゃないでしょうか。

 

せっかく好きになれたのに。せっかくジャニーズを応援できるようになったのに。

そんな感情ばかりが先走って。

でも受験生だからそんなことも言ってられなくて。

とりあえず「芸能界は何があるかわからない」と自分に言い聞かせて

受験に集中しようと決めました。

 

けどやっぱり神さまはいるんですね。

2014年2月「なにわ侍 ハローTOKYO!!」で7人でデビューという発表。

当時、携帯を持っていなかったしTwitterもやっていなかったから

これを知るまでにタイムラグはあったけれど。それでも本当に嬉しかった。

前述したように芸能界なんて何があるかわからない。

いいこともあれば、悪いこともある。

メンバーが10000字インタビュー(Myojo 2014.10~2015.4)で語っているように、

デビューすらなくなってしまうかもしれなかった。

そんな中でいい方に転んだこの現実に「嬉しい」以外の感情を失いました。

 

のちの雑誌等で、最初の4人や周りの人がどれだけ力を貸してくれたかを知りました。

4人が7人にこだわったのも他の人が応援してくれたのも、

3人にそれだけ魅力的な部分があったから。

そう思ってくれている人がいることを改めて実感して、とても感動しました。

 

2014.4.23

CDデビュー おめでとう。

高校(あ、無事に第1志望合格しました)があったからTVは見えなかったけど…

幸せな日になりました。

 

濵田担!と胸を張って言えるようになったのは本当に最近で、逆転Winnerぐらいから。

ジャニーズ界隈って本当に遡ればキリが無い程

詳しい方はいくらでもいらっしゃって。

濵田くんに関しては2002年の入所から知ってる、

応援している、って言う人もゴロゴロいるわけで。

そんな人とでも楽しくお話しできるかなぁと思えるようになったのがこの頃。

 

そして現在に至ります。

2014年〜2016年の間は個人的に忙しすぎて、ほとんどテレビも見えてなかったし

現場に行くこともできなかったけれど、なんやかんや今でも続いてるから

2013年の直感は間違っていなかったんだなと。

 

 

ジャニーズの「ジ」の字も知らなかった人間が、「濵田崇裕」という人間に出会い

現在Jr.と掛け持ちするまでになり早数年。

元を辿れば2011年、私にMyojoを激推ししたHのおかげです。

中学校は自由校区だからその中学校を選ばなかった可能性だって多いにあったし、

そしたらHとは出会ってなかったし、濵田くんに出会うことはなかったかも知れません。やっぱり運命ってあるだよ。

 

7年をいざ言葉にするのは難しいけれど、私は濵田崇裕に出会い

ジャニーズWESTのファンになれて、本当に幸せだと思っています。

 

これからも私は濵田崇裕を応援し続けます。