「SnowMan 向井康二」
あの日から止まっていた時計の針が動き出した。
決して楽な道ではない。進む道はいばらの道。
流す涙は数知れず。
それでも私は彼とともに信じた道を。
先日、京都南座で上演されている滝沢歌舞伎ZEROを観劇してまいりました。
このブログでは、普段ジャニーズWEST濵田崇裕さんのことを書き連ねていますが、その濵田くんと同じくらい応援している人がいます。
それはジャニーズJr.の向井康二くんです。
現ジャニーズWESTのメンバーが関西ジャニーズJr.を牽引していた時代から、彼の一生懸命に踊る姿や、後輩思いなところ、みんなを笑顔にしようという心意気にひかれ続けています。
1月17日深夜。
康二くんがSnowManに加入することが明らかになりました。
その時、私の中で二つの感情が生まれました。
1つ目は「6人のSnowManはもう見られないのか」という寂しい感情です。
この文章をお読みの皆様はご存知かとは思いますが、SnowManはアクロバットを得意とするジャニーズJr.のグループです。
特に誰かが推しというわけではありませんでしたが、ザ・少年倶楽部でSnowManのステージを見るたび彼らの楽しそうな表情や、その仲の良さにひかれていきました。
そのため2018年、日生劇場で行われた「少年たち そしてそれから…」にもお邪魔させてもらいました。
生で見た彼らのパフォーマンスを忘れることはないと思います。
結成以来続いてきた、彼らのパフォーマンスが見られなく寂しさがありました。
2つ目は「康二くんがライトを浴びれる日が来た」という感情です。
確かに、関西ジャニーズJr.を牽引してきた彼は、一部を除いた多くのジャニーズJr.よりもライトを浴びてきた方かも知れません。
しかし、KinKanとなにわ皇子が関西ジャニーズJr.の先頭に立っていた時代に比べると、明らかになにわ男子結成以降、事務所の力の入れ方はシフトしました。
これが向井担としてのエゴだ!といわれるならは本望です。
だって自担ってそういうもんですよね。
常に自分が応援する人に先頭に立っていてほしい、そう思うのが自然だと思います。
だからこそ、Youtubeで動画を更新していたり、横浜アリーナで単独コンサートを行ったりできる実力のあるSnowManに加入することで、今まで以上に康二くんはライトを浴びることができると思いました。
以上の二点から私の中で感情のもつれが発生しました。
「6人のSnowManは大好きだけど、康二くんも応援したい。」
わがまま極まりないですよね。
このタイミングで康二くんを担降り(ファンを辞めること)しようかとも考えました。
このまま応援していても苦しいだけだ、いっそJr.の応援を辞めた方が楽なのでは無いかと。
そんな時、ジャニーズWESTの繋がりで仲のいい友達が「私はJr.のことはよく分かんないけど、ここで降りたら後悔する気がする。」と言ってくれました。
今思えば、私はただ9人のSnowManを応援してもいいという口実が欲しかっただけかもしれない。
誰かに「ファン続けた方がいい」と言って欲しかっただけかもしれない。
それでも彼女の言葉があったからこそ、今の私がいることに違いはありません。
ありがとう。
今回の3人加入に関しては、報道のあったその日から、半年たった今でも賛否両論があるのはもちろん知っています。
様々な場所で、「SnowManは6人」という方がいらっしゃるのも知っています。
私はその方々を否定するつもりもありません。
私自身も、6人時代が懐かしくなって過去の動画を見に行くこともあります。
9人を受け入れてもらおうとも、分かってもらおうとも思っていません。
それでも、6人派の方にも知っておいて欲しいのは、貴方がSnowManの誰かを応援しているように、3人にも同じ様に応援している人がいるということ。
戸惑いながらもついていくことを決めたファンがいること。
同じようにSnowManの活躍を心から願っているということ。
ジャニーズという「CDデビュー」がステータスとなっている世界で、グループは必要不可欠です。
だからこそ、私は康二くんがSnowManに入れてもらえたことを嬉しく思っています。
これからも彼の信じた道を、彼の選んだ道を付いて行かせてください。
「5」と言う数字に何を思う
※超時差投稿です。2019年2月にタイムスリップしてお読みください。
5とか10とか、5の倍数というのは世間一般的にキリのいい数字として考えられており、5周年だとか10周年だとかはアニバーサリーイヤーと呼ばれます。
千葉県浦安市の某テーマパークも今年35周年を迎え、大変な賑わいを見せています。
:
2019年2月5日
ジャニーズWEST結成5周年
:
あの「なにわ侍 ハロー東京‼︎」の日から早5年が経ちました。
当時中学生だった私は、大学生になりました。
早いようで短かったこの5年。
5年で変わったこと、変わらないこと。
これから変えていかなきゃいけないこと。
数えきれない感謝。そして葛藤。
全てひっくるめて、私は今日という日を迎えることができてよかったと思っています。
1826日。
7人が同じ方向を向いていない日もあったと思う。
7人から笑顔が消えた日もあったと思う。
大の大人が7人も集まっているうえに、数えきれないほどのたくさんの人の影響を受けながら、日々を過ごしているのです。
ぶつかって当たり前、意見が合わないことがあって当然、そう思うのです。
それでも今日という日を、7人そろって迎えられたことは、一ファンとしてとてもうれしく思います。
「ジャニーズWESTは仲がいい」とよく言われますが、それは決して馴れ合いをしているわけではない。
互いが互いにメンバーを意識し、己を高めながら、あいつには負けるものかと。
確固たる「自分の核」となるものをそれぞれが持っている。
それとは対照的に「グループのために」という意識を誰しも持っている。
ドラマ、舞台、バラエティ…個人の仕事が決まった時に、「グループに還元できるように」という話が出る人たちはそこまでいないのではないでしょうか。
メンバーへの「ライバル心」と「『7人で』という意識」。
この二つのバランスがうまく取れているからこそ
今のジャニーズWESTにの姿があると思うのです。
これからもジャニーズWESTの進む道が
険しく、たまに雨が降ろうとも一本の道であり、
7人が笑顔で進んで行けますように。
6人のジャニーズWESTに会いに行った話
平成31年1月8日火曜日。
新年を迎えてから10日足らず。
私は携帯を手にしたまま、どうしようもない感情を涙に変えていました。
>メンバーの濵田崇裕に発熱の症状があったため、病院で検査を行いましたところ、インフルエンザであることが判明いたしました。
(中略)
1月8日(火)、1月9日(水)の愛知公演への出演を、やむを得ず見合わせることになりました。
はい??????なんですと?????
すぐに数名の友人から連絡が来ました。
「大丈夫?」って聞かれたけれど、大丈夫なわけないんですよね。
人生において推しがいないコンサートに入る経験をするとは思ってもいませんでした。
私はコンサートに入ると基本的に推ししか見えなくなる人間です。
「見ない」んじゃなくて「見えない」んです。
私にとって濵田くんはそれぐらい大きい存在なんです。
というかジャニーズのファンなら誰しもそういう経験があるのではないでしょうか?
WESTV!名古屋公演は、私の大切な友人の誕生日でした。
ジャニーズWESTの7人にお祝いしてもらって、
本当は最高の一日になるはずだったのに…
「横でずっと泣いていたらごめん。せっかくの誕生日なのにごめん。」
と連絡を入れました。
正直今回行ったメンバーじゃなければ行くのを断っていたかもしれません。
寝て起きたら当たり前のように朝がやってきて、1月9日になりました。
行きのバスや新幹線の中でも
「自担がいないコンサートに行く意味ってあるのかな?」
「私は6人のジャニーズWESTの姿を見て楽しめるのかな?」
とずっと考えていました。
もちろん脱退や引退ではないので、今回この2日間だけの話です。
そんな大げさな!と思われるかもしれませんが、数月前から楽しみにしてきた
この数時間が思う形でなかったことで悶々としていました。
移動の都合上、最寄り駅についたのはちょうど開場時間でした。
友人に「売り切れだけは困るから。」といって先に買っておいてもらった
濵田くんのうちわとペンライトを受け取り、会場へ。
(本当に売り切れたから先買っていて貰って本当に良かった…)
こういう時に限って神様っていじわるですよね。
座席を知ってから「この席で濵田くんがいたら…」って。
一度は「全体を見るぞ!」と切り替えたはずなのに、またまた無限ループ。
そんなこんなで開演5分前とか。
(いつも思うけど合唱ってめっちゃ楽しいよね。)
開演。
前振りの映像見ちゃうとやっぱり7人で出てくる気しかしなかった。
それでも、やっぱり6人でした。
私の当初の予想ではここで泣いていました。
6人のジャニーズWESTを見ることに耐えられなくて。
終始泣きっぱなしだろうと…
でも大きく予想は外れました。
私が最初に泣いたのは「間違っちゃいない」の時です。
私は「間違っちゃいない」の濵田くんが歌う「夢を信じることも」というところが
すごくすごく好きで。
この曲が始まってからずっと濵田くんのうちわをぎゅう~ってしてたのですが、
この歌詞に差し掛かった時初めて涙が堪えきれなくなりました。
でもこれは私が濵田くんのことがそこまで好きじゃないとか、薄情だとか
そう行った話ではなくて。
私は「6人が濵田担に泣く''隙’’を与えなかった」という結果だと解釈しています。
登場した瞬間から会場の温度はぐっと上がり、一気にハイテンションな空気へと持って行ってくれました。
その瞬間純粋に楽しもうという気持ちが心の底から湧き上がってきました。
さらに、姿こそ無かったけれど、そこに、不自然にあいたその一つのスペースに、濵田くんは確かにいました。
私が見たことがあるはずもないYSSBのダンスを濵田くんは確かに踊っていました。
いやまぁ私が勝手にそう解釈してるだけだし
心のフィルターがかかってるだけなんですけど。
開演前や間違っちゃいないの時に、紫に染まる会場はとても綺麗でした。
6人は濵田担を置き去りにすることなく、積極的に濵田くんの話をしてくれたし、ファンにもそういう意識があったのは確かだと思います。
私が好きになったジャニーズWESTの姿がそこにはありました。
会場から出た私はいつも通りのハイテンションで、笑顔いっぱいでした。
もちろん寂しさはあったけれど、悲しさはありませんでした。
もちろんすべてのファンが私のように思うことができたわけでも無いし、
価値観の違いがあることで、グループの厚みが出ると思っています。
それでもこれだけ言わせてください。
とっても楽しかったです!
しげ、照人くん、淳太くん、神ちゃん、流星、のんちゃん
そして数えきれないジャス民のみんなありがとう。
自担との出会い〜濵田崇裕くん編〜
遠い日の記憶を辿っていこうと思います。
私の推しはジャニーズWEST・濵田崇裕くん。
彼を初めてみたのはおそらく2011年夏頃だったと思います。
それまでジャニーズになんて興味が無かったというのが正直なところ…
小学生の頃は毎日習い事に追われていて「天才!志村どうぶつ園」に出ている相葉くんが嵐だということを知らなかったという悲惨な状況でした。
ただ、今も昔もドラマを見ることは趣味で。
「ルーキーズ」「ごくせん」etc...特に学園ドラマが好きでよく見ていました。
そんなもとで育った私が知ったきっかけは中学に進学して出来た友人。
同じバレー部だったH。Hは現King&Princeの永瀬廉くんのファンで。
永瀬くんは2011年4月に入所しているらしいから、011年夏の時点で知っていたのは
かなりのジャニオタだったんだなと今になって感じています。
この子がかなり自分の好きなものはどんどん他人に進めるタイプの子で、
当然同じ部活で仲の良かった私にもジャニーズの波はやってくることに。
そんなこんなで2011年夏。すなわち中学1年の夏に、初めてきちんとジャニーズに向き合うことになり、嵐などのメンバーを全員認識したのもこの頃でした。
たくさん見せられたアイドル雑誌。
関西ジャニーズJr.のページで「なんか見たことがあるなぁ」ってなったのが、
(完全にごくせんの影響ですね…)
「関西ジャニーズJr.」その括りの中に彼はいました。
Jr.時代の濵田くんはファンの中でも「チャラ濵田」と揶揄されるように
今とはかなり違うビジュアルだったし、私のタイプからいうと惹かれるはずはないのに。それなのにどうしても彼の笑顔から目が離せなくなったのです。
それは今でも変わっていなくて、思いっきり笑うと細くなって無くなる目。
目尻による笑いジワ。笑顔の素敵な男性にどうも弱いみたいです。
濵田くんと出会った私は、そこから生活が一変した…
なんて話があれば面白いのだろうけど、そうはいかないのが私です。
確かに「関西ジャニーズJr.の濵田崇裕」を認知はしたし、他の関西ジャニーズJr.も有名どころ(7WESTなど)はなんとなく顔と名前が一致するようになりました。
でも、中学時代も毎日部活や勉強に追われ「まぁテレビに出ていたら見るけど…」と
いう感じで、ましてや「自担」なんて言葉も知りませんでした。
そのまま月日は流れ、中学3年生になりました。
その間にSexyzoneとA.B.C-Zがデビューしたが、そこまでハマることもなく…
(HはSZ勝利くん担になってたけど。)
バレー部も引退し、いわゆる受験生と呼ばれる段階に入った頃、
ふとジャニーズを思い出したかのように、見るようになります。
キッカケといえばそうなのかもしれませんが、毎日19時を回っていた帰宅時間が早くなり、受験勉強にも追われていなかった私には、今までなかった「テレビを見る時間」ができました。
そんな時にたまたま見かけたのはNHK BSプレミアムで放送されている「ザ少年倶楽部」。今や毎週録画して見る番組だが、この時はほとんど初めて見たに等しかったという状況だから驚きです。
しかもその日は年に一度のin大阪の日。今思えば奇跡でした。
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Staygoldを歌う濵田崇裕。
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あ、この人、好きだ。そう明らかに認識したのがこのとき。
こんな偶然あるわけないって普段の私なら思うけれど、こればっかりはタイミング。
神さまのイタズラだったんだろうな…
ここからはとにかくこの2年の穴埋め。
全然知らなかった少年たちのことやその他諸々、関西ジャニーズJr.について
ネットを駆使しておえるところまで。もちろん、2011年以前のことも。
(少年たち時代に好きじゃなかったのはいまでも後悔してる)
まぁそんなこんなで無事(?)濵田くん好き〜と
なった私は2014年元旦から衝撃を受けることになります。
数ヶ月かけてB.A.Dや7WEST、そして濵田崇裕のことを勉強してきたわけですよ。
…言葉にならない感情。
…どこにぶつけたらいいかわからない悲しさ。
(携帯なかったしそもそも友達に言ってなかった)
とりあえず他のグループのためにカウコンみてとりあえずそのまま寝ました。
夢でありますようにと願って。
(こんな陳腐な言葉で片付けたくはないけれど、本人たちも「過去の話」と言っているので私もそのスタンスでいきます。)
でもね、夢なわけないんですよ。新聞にデカデカと書かれる文字。全部が苦しかった。
これはジャニーズWESTのファンだったら誰担でも一緒だったんじゃないでしょうか。
せっかく好きになれたのに。せっかくジャニーズを応援できるようになったのに。
そんな感情ばかりが先走って。
でも受験生だからそんなことも言ってられなくて。
とりあえず「芸能界は何があるかわからない」と自分に言い聞かせて
受験に集中しようと決めました。
けどやっぱり神さまはいるんですね。
2014年2月「なにわ侍 ハローTOKYO!!」で7人でデビューという発表。
当時、携帯を持っていなかったしTwitterもやっていなかったから
これを知るまでにタイムラグはあったけれど。それでも本当に嬉しかった。
前述したように芸能界なんて何があるかわからない。
いいこともあれば、悪いこともある。
メンバーが10000字インタビュー(Myojo 2014.10~2015.4)で語っているように、
デビューすらなくなってしまうかもしれなかった。
そんな中でいい方に転んだこの現実に「嬉しい」以外の感情を失いました。
のちの雑誌等で、最初の4人や周りの人がどれだけ力を貸してくれたかを知りました。
4人が7人にこだわったのも他の人が応援してくれたのも、
3人にそれだけ魅力的な部分があったから。
そう思ってくれている人がいることを改めて実感して、とても感動しました。
2014.4.23
CDデビュー おめでとう。
高校(あ、無事に第1志望合格しました)があったからTVは見えなかったけど…
幸せな日になりました。
濵田担!と胸を張って言えるようになったのは本当に最近で、逆転Winnerぐらいから。
ジャニーズ界隈って本当に遡ればキリが無い程
詳しい方はいくらでもいらっしゃって。
濵田くんに関しては2002年の入所から知ってる、
応援している、って言う人もゴロゴロいるわけで。
そんな人とでも楽しくお話しできるかなぁと思えるようになったのがこの頃。
そして現在に至ります。
2014年〜2016年の間は個人的に忙しすぎて、ほとんどテレビも見えてなかったし
現場に行くこともできなかったけれど、なんやかんや今でも続いてるから
2013年の直感は間違っていなかったんだなと。
ジャニーズの「ジ」の字も知らなかった人間が、「濵田崇裕」という人間に出会い
現在Jr.と掛け持ちするまでになり早数年。
元を辿れば2011年、私にMyojoを激推ししたHのおかげです。
中学校は自由校区だからその中学校を選ばなかった可能性だって多いにあったし、
そしたらHとは出会ってなかったし、濵田くんに出会うことはなかったかも知れません。やっぱり運命ってあるだよ。
7年をいざ言葉にするのは難しいけれど、私は濵田崇裕に出会い
ジャニーズWESTのファンになれて、本当に幸せだと思っています。
これからも私は濵田崇裕を応援し続けます。